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蛭子屋合名会社
お知らせ

理想の朝食とは、何だろうか。日本人がまず頭に浮かべるのは、白く艶のある白米、色鮮やかな漬物、香ばしい焼き魚――そして、味噌汁。
そんな日本人の食卓に欠かせない味噌汁、その柱である味噌の製造を行っているのが、ヱビス味噌醸造元蛭子屋合名会社である。
蛭子屋は2016年に創業100周年を迎える歴史の深い企業であり、主に味噌や味噌を使った加工品造りを行っている。

今回は三代目の社長である安藤茂友さんにお話をする機会を頂いた。
まず、主な業務内容をお聞かせください。
「私たちの主な業務は味噌の製造・販売です。製造工場横でヱビスヤオリジナルショップを運営しています。」
店内を拝見させていただきましたがお洒落な内装で、正直味噌を販売しているとは思えませんでした。
「ええ、そうですね」
蛭子屋では現代の食生活に合わせた、バラエティに富んだ商品を取り扱っている。まず目を惹かれるのがその外見。
蛭子屋では味噌をお洒落なガラス瓶に詰めて販売しているのだ。

このように販売しようと思った切っ掛けはなんでしょうか。
「切っ掛けは、福岡産業デザイン賞に応募したことですね。そこで我が社の“スタミナ味噌”が奨励賞を受賞したんです。そこから更にブランドとして確立していくためにデザインについて考えていくことにしました。」
「筑豊などの4地区でデザインのワークショップが定期的に開かれているのですが、そこでデザインについて学ぼうとしたんです。でも、とあるデザイナーさんからこう言われたんです――デザインは見た目だけではない」
外見ばかりが目立っても、中身が伴っていなければそこに価値はない。経営や会社の雰囲気から踏み込んでいかなければ、デザインは完成しない。会社にはバランスがあり、どこかに特化しても崩れてしまうだけ。
「正直、ワークショップに参加すればデザイナーがきっぱりと良い案を出してくれると思っていたんですが……きっぱりと厳しいことを言われてしまったんです」
会社の方向性を考えて、それからデザインを考えなければならない。
「我々は味噌を食卓の脇役ではなく主役にしたいという志があるんです。でも、最近は味噌離れする若者が多くて……」
あ、私は毎日味噌汁飲んでます! 朝も飲んできました!
「そういう若者もいるんで嬉しいのですが、結構深刻な状況なんです。そこで考えたのが、“misoya no kitchen”シリーズなんです」

味噌と聞くと味噌汁を連想するのが一般的だが、“misoya no kitchen”シリーズでは「ディップ味噌」、「かけ味噌」、「ソロ味噌」という三種類の味噌を取り扱っている。
「ディップ味噌」はご飯やパンやクッキーに塗って食べる味噌。
「かけ味噌」はドレッシングやソースとして用いる味噌。
「ソロ味噌」はオーソドックスな使い方の味噌。
「若い方でも手に取っていただけるような味噌を開発し、そこからデザインを考案しました。それが味噌をお洒落なガラス瓶に詰めた“misoya no kitchen”シリーズです」

創業から百年というのは相当に深い歴史である。その歴史の中で培ってきたものを受け継ぐことは何よりも大事なことだ。しかし現状ではその歴史ですら廃れてしまう可能性がある。
味噌業界は危機的な状況を迎えているという。
そこに茂友さんが一石を投じたのだ。
温故知新という言葉が頭に浮かんだ。歴史を大事にしながら、それでいて未来へと挑戦していく。並大抵の努力では成しえないことを、茂友さんは挑戦し続けているのだ。
「おかげさまで、今ではさらに多くの方に我が社の味噌への興味を持っていただけています。味噌でありながら雑貨屋さんで取り扱われたり、海外で販売したり。とにかく多くの方に支持をいただいているんです」

ここで茂友さんは来客により一時退室され、我々は一息ついた。
歴史を背負っていくのは大変なんだなあ……。
「そうそう、大変なんです」
油断していたところを急に声をかけられ、我々背筋が伸びる。冷汗が噴き出す。
「でもね、そういう苦労をしていかないと人間も会社も成長していかないんです」
笑顔でそう言ったのは、女将の安藤久代さんだった。
「貴方達は若いのだから、特に苦労をしなさい。誰かにお膳立てされた道を歩いていくのは楽だろうけど、成長できないから」
自ら行動し、自ら失敗・成功を経験し、変革を経験していく。そのことが一番大変だけれど一番大事である。
そう語る久代さんは女将として、きっと多くの苦労や挫折を経験してきたのだろう。
多くの苦労や挫折のおかげで、今の蛭子屋があるのだろう。
「花は自分で咲く場所を選べないでしょう? それでもその場所で一生懸命咲くから綺麗なの。そんな風に環境や他人の所為にせずに頑張っていけば、大きく成長できるから……頑張ってね?」
その後も続く久代さんの言葉に、我々涙ぐむ。茂友さんが既に戻ってきていたことに気づいたのはもう少し後である

お二人に、どんな人と働きたいかお聞きしてみた。
「私たちは、若人が働きたくなるような会社を目指しています。だからこそ、明るく元気で、感受性豊かな人と働きたいです」
「最近は上司に怒られることが嫌で仕事を辞める若者が本当に多いです。でも私は厳しく接する大人は絶対必要だと思うんです。大人から叱られ、叱られたままで終わらず、何度でも立ち上がる。そんな若者と是非働きたいですね」
若者は大人に叱咤され、激励され、目標に向かって突き進む。
大人は若者から様々な刺激を受け、さらに成長する。
そんな素直さが成長につながるということを、お二人から教わることができた。
「重しを載せないと腐ってしまうことは、味噌も人間も同じなんです」
座布団三枚はもらえるであろう久代さんの締めくくりの言葉に、我々は感嘆とともに拍手を送った。ちなみに茂友さんも我々と同様の反応であった。
蛭子屋は2016年に創業百周年を迎え、そして更に百年続いていく会社を目指していると言う茂友さんと久代さん。
今だけでなく、過去や未来も大事にしているお二人の言葉を聴いて、改めて“これから”について考えることができた。
蛭子屋は、温かで、そして熱い想いを持ったお二人に支えられた企業であった。